100日。
今日で100日という日がきました
もともと人間の方でも法事の行事はほとんどやったこともなく、
墓参りとかそーゆーのも全く音沙汰無い家系なので、
知識が全く皆無な中、いろいろと調べた結果、
故人を想う気持ちがあれば宗派とか別にどうでもよくね?
逆に、いくら形式にのっとっていても、気持ちがなきゃ意味がないわけで。
まあ、多分うちもなんらかの宗派はあるんだろうけど、
【亡くなった時から魂と体は離れるので、亡骸を火葬や土葬にする、お骨をおさめる手元に置いておく、人と同じ所にはいる、というのは自由です。いつまでもその子を想う気持ちこそが、どんな形式に従うよりも尊いことで、守るべきものなんですよ】
と、お坊さんが言っていた、と書かれている記事を見つけたので、
わたし何派か知らないけど、これを信じたいなあとおもいました。
宗派を信じるなら、コレもひとつの宗派だろ、と。
それぞれの宗派を信じることに否定はしないけど、
そのやり方をこうだよと決め付けて言ってくんなよとおもいますね。
49や100の日にちは区切りの日にちとされているようで、
悲しみに区切りをつける、なんて話もありましたが、
悲しみに区切りなんかつけられるかと、悲しいなと思えばいつだって悲しいで泣いたら良いじゃないかと思うわけで、
そこで無理やり区切りをつけようとするのって不思議だなと思うわけで。
別に悲しくたって引きこもりになって働かなくなって、というわけでもない、
個人の感情をそんな形式ごときに左右されてたまるかよと
心置きなく号泣したり笑いかけたりする次第です。
あんまり悲しんでるとお空に行けなくなるよ、なんていうけど、
自分が死んだ時、さっさと区切りつけられるほうが切ないし
そんだけ想われてんだな、なんて嬉しくなると思うんだけど、
どのみち自分がいくときにはゼロと一緒に空に行きたいと思うんで、
しばらく現世でのんびり昼寝をしていてほしいなと思うのです。
さて。ちょっといろいろ調べてたらなんか腹がたったのでつらつら書きなぐったが、実はとてもとてもたまらなく幸せな夢を見たので、不思議体験とともにご紹介をば。
この100日というタイミングで、
なんとゼロの夢を見た。
足元で尻尾をパタパタと振ってこちらを見上げていて
たまらず体まるごと抱きしめてゼロも飛び込んできてくれて、
おしりをずっとナデナデナデナデしていました。
ナデナデしながらゼロの尻尾はずっとパタパタしていて、
まあぁ夢ん中で号泣したものですが、
どうやら現実でも号泣していたようで、起きたら超目が腫れる事態。
まあそれはどうでもいいんだが。
ゼロが虹の橋へ渡ったその日の夜、
やっぱりナデナデさせてくれる夢を見て、
この100日のひに、元気な可愛い笑顔を見せてくれて
ナデナデさせてくれる夢を見て
もう感無量。
相変わらずの世界一かわいいぜろこちゃん
わたしは100日たった今日、100日なんて関係なく、100日前と同じようにゼロが大好きですよ。ちょう愛してます。
この100日、毎日仏壇の扉を開けては大好きだぞと言いながら話しかけていて、
悠に100回以上は大好きを繰り返してるわけですが、
これから先も何万回と言うであろうこの言葉、
どうか聞き飽きたと言わず、受け止めてやってくださいな。
愛が重いのは承知とおもいますので、
これからもずっとずっと、大好きと言わせてくださいな。
2004年、ゼロを見つけられて本当によかった
ゼロとずっと一緒にすごせてよかった
すくすくと大きくなってくれたぜろこちゃん
どんなときもそばにいてくれて本当にありがとう
また会える時を楽しみにしています
かしこくて可愛くて癒やし系のパーフェクトわんこよ、
私の心は常におまえのものだ!
まいにち大好き、ゼロラブ!
もともと人間の方でも法事の行事はほとんどやったこともなく、
墓参りとかそーゆーのも全く音沙汰無い家系なので、
知識が全く皆無な中、いろいろと調べた結果、
故人を想う気持ちがあれば宗派とか別にどうでもよくね?
逆に、いくら形式にのっとっていても、気持ちがなきゃ意味がないわけで。
まあ、多分うちもなんらかの宗派はあるんだろうけど、
【亡くなった時から魂と体は離れるので、亡骸を火葬や土葬にする、お骨をおさめる手元に置いておく、人と同じ所にはいる、というのは自由です。いつまでもその子を想う気持ちこそが、どんな形式に従うよりも尊いことで、守るべきものなんですよ】
と、お坊さんが言っていた、と書かれている記事を見つけたので、
わたし何派か知らないけど、これを信じたいなあとおもいました。
宗派を信じるなら、コレもひとつの宗派だろ、と。
それぞれの宗派を信じることに否定はしないけど、
そのやり方をこうだよと決め付けて言ってくんなよとおもいますね。
49や100の日にちは区切りの日にちとされているようで、
悲しみに区切りをつける、なんて話もありましたが、
悲しみに区切りなんかつけられるかと、悲しいなと思えばいつだって悲しいで泣いたら良いじゃないかと思うわけで、
そこで無理やり区切りをつけようとするのって不思議だなと思うわけで。
別に悲しくたって引きこもりになって働かなくなって、というわけでもない、
個人の感情をそんな形式ごときに左右されてたまるかよと
心置きなく号泣したり笑いかけたりする次第です。
あんまり悲しんでるとお空に行けなくなるよ、なんていうけど、
自分が死んだ時、さっさと区切りつけられるほうが切ないし
そんだけ想われてんだな、なんて嬉しくなると思うんだけど、
どのみち自分がいくときにはゼロと一緒に空に行きたいと思うんで、
しばらく現世でのんびり昼寝をしていてほしいなと思うのです。
さて。ちょっといろいろ調べてたらなんか腹がたったのでつらつら書きなぐったが、実はとてもとてもたまらなく幸せな夢を見たので、不思議体験とともにご紹介をば。
この100日というタイミングで、
なんとゼロの夢を見た。
足元で尻尾をパタパタと振ってこちらを見上げていて
たまらず体まるごと抱きしめてゼロも飛び込んできてくれて、
おしりをずっとナデナデナデナデしていました。
ナデナデしながらゼロの尻尾はずっとパタパタしていて、
まあぁ夢ん中で号泣したものですが、
どうやら現実でも号泣していたようで、起きたら超目が腫れる事態。
まあそれはどうでもいいんだが。
ゼロが虹の橋へ渡ったその日の夜、
やっぱりナデナデさせてくれる夢を見て、
この100日のひに、元気な可愛い笑顔を見せてくれて
ナデナデさせてくれる夢を見て
もう感無量。
相変わらずの世界一かわいいぜろこちゃん
わたしは100日たった今日、100日なんて関係なく、100日前と同じようにゼロが大好きですよ。ちょう愛してます。
この100日、毎日仏壇の扉を開けては大好きだぞと言いながら話しかけていて、
悠に100回以上は大好きを繰り返してるわけですが、
これから先も何万回と言うであろうこの言葉、
どうか聞き飽きたと言わず、受け止めてやってくださいな。
愛が重いのは承知とおもいますので、
これからもずっとずっと、大好きと言わせてくださいな。
2004年、ゼロを見つけられて本当によかった
ゼロとずっと一緒にすごせてよかった
すくすくと大きくなってくれたぜろこちゃん
どんなときもそばにいてくれて本当にありがとう
また会える時を楽しみにしています
かしこくて可愛くて癒やし系のパーフェクトわんこよ、
私の心は常におまえのものだ!
まいにち大好き、ゼロラブ!
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